京都暴走事件

12日京都市東山区で、信号無視をした車が歩行者18人をはね、8人が死亡した。

あの場所は私が大阪にいる頃や、京都にも住んでいたのでよく歩いたところである。
悲しい事故である。

青信号に変わったので、歩き出した人がはねられたのであるが、同じところで、異変に早めに気づいて戻った人は巻き込まれていなかった。

私が、世田谷に住んでいる頃、よく行くレストランの前の横断歩道で、片山隼君事件が起こった。東京都世田谷区の片山隼(しゅん)君(当時8歳、小学校2年生)が1997年11月28日午前7時50分ごろ、自宅近くの信号機のある交差点で、ダンプカーにひかれて死亡したのである。
青信号が点滅したので隼君は横断歩道を引き返そうとしてダンプカーにひかれたとの証言である。

いたたまれないほど母親は憔悴してテレビに出演して、「あの子は絶対に信号を守る子でした」と悲痛に訴えていた。

そうなのである、絶対に信号を守ったのである。そして点滅したので渡りきろうとしていた信号を引き返した。ダンプの運転手は渡りきったと思ったので、発車した。
あそこはとてもよく混む道であり、ダンプは自分の信号が青の内に交差点を渡ったが、前が詰まっており、赤信号になったので、渡りきったところの横断歩道を開けて,その前で止まった。
そこを歩行者青信号のときに隼君が渡っていった。前を渡りすぎていったので、そのままアクセルを吹かした。
そこで歩行者の青信号が点滅した。隼君が「青信号を守らなければいけない」として、引き返した。普通なら、渡りきるが、隼君は青信号を絶対に守るという観念が強かった。
ちょうどダンプの前に隼君がいた。ダンプの運転手の焦りと不注意が悔やまれる。

悲しい出来事である。

京都の事故もそうであるが、青信号は渡ることができると言うことだけであり、守るべきものではないのである。

青信号は、より危険である。

青なら、車は来ないだろうという隙がある。

私は信号など守るなと教えている。信号は渡っても良いというルールであり、それは自分で決めることなのだ。安全であるか、そうでないかをよく確かめてである。

青信号が我が身を守ってくれるのではない。そう教える。

赤信号は、今は車が渡ってもいい時だから歩行者は止まれというルールである。
しかし、車が遠く見渡しても来ないのに、待っていてもナンセンスであるが、ルールは守ることにするならば、ずっと、待っていればいい。私はどうするかは秘密である。

子供にはこう教えた。青信号であろうが、赤信号であろうが、自分で完全に安全であると思ってから道路を渡れと。左折や右折の運転手の人に手を大きく上げながら挨拶をしながら渡ると、その人がよそ見をしていないこともわかる。遠くも見渡せと。人が渡ろうが自分の目で確かめろ。手を上げたからと止まってくれるとは限らないし、目が合ったからといってその人がイライラしていたり、ちょっと変だったら先に行かせろという。行ったら次は誰が来るか興味を持てと。
青が点滅しようが、周りを瞬時に見渡して一番安全なところに身を寄せる。それを教える。

京都の事件も、青だとしても車が来るかも知れないという意識、または総合的な感受性の強い人は,暴走車を発見したのであろう。それで助かったのかも知れない。

太極拳は感受性を鍛える。回りのものと一体になる感受性である。従って、周りの環境の変化は、自分の体の一部の様に感じれるようになる。太極拳では和合という。人生では愛。

私はそれで何度も命が助かっていることは数え上げるときりが無い。
夜の大阪ミナミの千日前を青信号で渡っていて、恐い人の車に猛スピードで追いかけられている車が行きすぎたところを,その暴走車を右目で見ながら、道路中央の安全地帯から足を踏み出した男性が、その追いかけていた車に跳ね上げられて、高速道路の高さまで飛び上がり、地面にたたきつけられ、私の前にその男性の靴が落ちてきたという経験もある。

工事中のビルの横を通るときはその工事に興味を寄せ、曲がり角ではアウトアウトアウトといって曲がり角を愛し、街では人々に興味を寄せ狂気を選び感じる、山では自然と一体になりスズメバチの巣や,まむしの居所を感じる。気をつけるのではなく、一体になり感じる。

これが全ての安全に通じる。ルールは大切であるが、それは単にルールである。
自らの全てが自分を守ってくれる。

それを思い出して欲しい。思い出して欲しかった。教えてあげて欲しかった。

皆さんのご冥福をお祈りいたします。

京都市東山区の祇園近くの繁華街で12日、車が暴走し、8人が死亡した事件で、てんかんの持病のある運転手の男が、暴走中にも意識があった可能性があることがわかった。

12日午後1時過ぎ、京都市東山区で、信号無視をした車が歩行者18人をはね、7人が死亡、11人がケガをした。車は200メートル離れた電柱に衝突し、車を運転していた藤崎晋吾容疑者(30)も死亡した。

事件から一夜明けた13日朝、現場では犠牲者を悼み、花を手向ける人の姿が見られた。

事件の発端となった、タクシーとの追突事故直前の映像では、車が暴走している様子はうかがえない。藤崎容疑者にはてんかんの持病があったが、追突事故の後、信号待ちの車両をすり抜けながら交差点でクラクションを鳴らし、その後も車両を避けるように蛇行運転していた。このため、警察は、藤崎容疑者が意識を保ちながら暴走していた可能性もあるとみて、殺人容疑も視野に、慎重に捜査している。

引用元: 暴走中にも意識あった可能性 京都暴走事件(日本テレビ系(NNN)) – Yahoo!ニュース.

コメントを残す