遊戯三昧という世界

本を読んで知識を得ようとすると、読んで覚えようとする。そんな事はしない。

私が、本を読む事は、子供が絵本を読むように経験である。
だから私は、斜め読みができる。
経験に勝る情報はない。

いくら本を読んでその真似をしようとしても、覚えようとしても、所詮その情報を記憶しただけである。

本を読むも、映画をみるも、自分の主体で経験する。
本も映画も他人事だと感じるのは普通である。
しかし、自分の人生の一場面の選択とよく似た事があるかもしないし、また自分ならどうすると感じる事もできる。
単なる知識の辞典のウィキペディアを読んでも、自分が経験する事ができる。

この感覚は実は愛と同じで、その場にある自分が選んだ本や映画を愛する事、すなわちその全てを自分の経験として受け入れるという感覚である。

仏陀はこの事を遊戯三昧と言って表現した。

この三昧は、本を読んだり、映画をみるというただの体験を、経験という膨大な情報を得るという極地にいざなうただ一つの境地である。

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